『ボクたちはみんな大人になれなかった』
伊藤沙莉さんにどハマりしている。
きっかけは『タイトル、拒絶』を見たこと。
開幕の語りであの掠れた声に心を鷲掴みにされてしまった。
表情にも演技にも表現し難い魅力が詰まっている彼女に、いわゆる”ガチ恋”状態なのである。
世界が気がついているが、伊藤沙莉さんは本当に大変にあり得なくキュートで可愛らしいのだ…。
そんな最中、伊藤沙莉さんがもっと見たくて入会したNetflixで見たのが、『ボクたちはみんな大人になれなかった』だ。
過去の恋人を心に残し続けながら生きてきた男の人生を振り返る物語である。
正直、映画には乗り切れなかった。
まず主人公の思い出が時代を超えて行ったり来たりするので、今がいつなのか分かりにくい。
そしてテレビ業界で働く主人公や周囲の人々は出世するたびに身なりや言動が大きく変わっていくので、誰が誰なのか分からない。
内容も自分の中には残らずサラッと2時間が流れていってしまった。
ただ、伊藤沙莉が演じる「彼女」の愛らしさだけは映画を見終わった今も心に焼き付いて離れない。
はにかんだ笑顔が忘れられないし、ずっと彼女の哲学を聞いていたいと思ってしまう。
「(宮沢)賢治はずっと東北の田舎町で人生の大半を過ごしたのに、銀河まで旅したんだよ」
というセリフは心に残り続けるフレーズだろうな。
彼女の存在だけが観客に残ることを意図しているのであれば大成功だと思うが、そんなはずはないだろう…。
私の中ではオシャレ恋愛エモ映画と言ってしまうと失礼だが、実際そんな印象で終わってしまった。
忘れられない「彼女」についての映画なのに「彼女」が出てくるシーンが中盤から、しかも短いってどういう意図なのか。これではただの森山未来の恋愛遍歴の映画なのですが…。
期待していたのでちょっと残念でした。
こんな感想では流石に失礼なので、原作と『「海行きたいね」と彼女は言った』も買って読んだ。
すると原作では現在の自分を中心に過去から順に記憶を遡っているのでしっかりと中身が頭に入ってくる。
業界人として成功した主人公が大人になれなかった頃の自分と彼女との日々を思い返すノスタルジックな作品だった。
既に彼女と過ごして得たことが自分の一部になっていることに気がつき、思い出と別れるラストは凄く美しい終わり方だ。
過去と思い出は同義語だと錯覚しがちだが、確かにそうではない。
そしてスピンオフの方は伊勢崎町周辺に疎い自分にはイメージを膨らませる材料としてすごく良かった。伊藤沙莉さんの写真集としても良い出来。
なんだか沙莉ちゃんとデートした気分である。
そしてこの作品を知って良かったと思ったことは森山未来さんがインタビューにて仰っていた、
「ヒトは二足歩行に進化し子宮や骨盤の位置が変化したことで、出産にものすごい苦痛を伴うようになった。ゆえに種の保存に繋がる男女の出会いという行為を忌避しないため、恋愛感情(脳内麻薬)というものが存在する。だから、恋愛映画はキラキラしたものになる。」
という解説だ。
人が進化する上で恋愛映画というものは、本来エモーションを動かせればいいのである。
むしろそれが王道でシンプルな正解なのだ。また新たな見地を得た。
何を期待してみた映画ではないが、このインタビューまで辿り着けたことはいいゴールであった。
またいつか見返す機会があれば、今より大人になった自分が何を思うのか楽しみである。
年内にビューティフルドリーマーを見返そう。
聖地巡礼に行った。
『竜とそばかすの姫』自分の足で駆けていくこと
細田守監督最新作、『竜とそばかすの姫』を見てきました。
今作『竜とそばかすの姫』は中村佳穂さんの歌・演技、3D映像、魂の宿ったアニメーション等、限界まで最高峰の技術が詰まっており、誰しもが「映画史を揺るがす大傑作を見た…!」と感じたと思います。初回観賞時の後味は最高でしたね。
劇場を後にするお客さんが口を揃えて言っていました。
「音楽が最高!」「キャラクターの動きが可愛い!すごい!」「Uの世界観の作り込みが凄い!」と…。同感です。
さて、お気づきでしょうか(皆まで言うな)
"誰もストーリーの話をしていない"と言うことに…。
私の考えですが、ツッコミどころの多い脚本だとどこかで感じているのでしょうね。
そのため、圧倒的な力を持つ音楽と映像の話題が前面に出てきているのでしょう。
細田守作品の作品テーマは「成長」です。
様々なことを経験して今ここにいる"親"と、これから前に向かって進んでいく”子”の未来を描いたのが『未来のミライ』
一人で生きてきた少女が周囲との関わりを通して他人を支える人間になっていく姿を描いたのが『おおかみこどもの雨と雪』
今回も同様に、トラウマを抱えた少女が竜との出会いによって本来の自分を表現できるようになっていくという成長のストーリーになっています。
本当に素晴らしいことだと思うのですが、今作の終盤は主軸である「鈴の成長」1点にフォーカスを置き、物語を完結へと突き進めています。
その結果、手放しに応援していいか分からない「高知から東京へ爆走する鈴」が生まれました。
決して現実的では無いし、知と恵の身に何かが起こる可能性がある以上、あの選択は正しく無いでしょう。
ただ、鈴が成長する上では正解の行動です。
「児相がダメなら警察に連絡を!」
「インターネットで協力して皆で知くんと恵くんを助けようよ!」
それではダメなのです。
内に閉じこもっていた鈴がルールや自分の殻を打ち破って自分の足で外の世界と関わることが彼女の成長なのだから。
(まぁ私だったら警察に電話して、それでもダメならベルの影響力を使ってみんなに助けを求めて、且つ連れとして父親連れていくけど!)
物語上と現実問題として見たときの正解は異なるので難しいですね。
個人的には大変良いラストの追い込みだと思いますが、自分なりに落とし所を見つけるために考え抜いた結果辿り着いた感想なので、かなりポジティブ受けとりすぎているとは思います。
ただ、鈴の物語としてはこれでいいのです。
なんだかんだ言いましたが、私は『竜とそばかすの姫』をすごく楽しみました。大好きなアトロクを聞いたらもう一度見に行こうかな。
細田守監督の次回作はもっと凄いことをしてくれるんでしょうね。
3年後が楽しみだ!
追記:解釈が追いつかず皆様の意見を伺いたいポイント↓↓
物語の最後でUの世界で鈴がクジラに乗って歌うシーン。
”なぜベルの姿に戻っているのか?”
・ベルのように歌うことができるようになった鈴の姿を表している?
→彼女自身であることに意味があるので、制服、もしくは真っ赤なドレスを着た鈴が歌う姿になるはず。
・過去の描写?
→そのような描写が挿入されるシーンでは無い。
・皆の目に鈴自身がベルに重なって見えていることの視覚表現?
→既に鈴がベルとして認められているのでAsとしてのベルの姿が現れることは無いのでは…?
そもそもノベル版には以下のような描写がある(みんな買ってね)
・クジラの鼻先に救い上げられる鈴。
・そこはかつてベルが歌った場所で、今度は鈴が生身で立つ。
・ベルは消えてしまった。
・ベルを生きたことを感謝した瞬間に鈴の体から無数の花々が咲き開いた。
ますます分からない。
個人的に納得がいく落とし所は「盛大な作画ミス」なのですが…。
皆さんの解釈を教えて頂きたいです。
ここが腑に落ちない限り私の竜とそばかすの姫は完結出来ないのである。